望むばかりの人の話
通りを吹き抜ける風はまだ少しの肌寒さを感じさせている。
やわらかく暖かみを帯びはじめた日差しがまだ眠気を携えた両目に優しく入り込み、それから彼は気持ちを切り替えるため、スッと吸い込んだ空気を飲み込んだ。
街を行き交う人々の作る波は瞬きをする度に新しい景色を見せているが、どうにも退屈で、うんざりしてしまう。
気付けば彼はため息をこぼし、同じように変化を見せ続ける空を見上げていた。
一体いつからだっただろう。昔は、好きなお菓子やジュースを机に広げては、レンタルビデオショップで借りてきた映画の世界に憧れ、1シーン1シーンにとてもワクワクしていた。
ところが今は、同じことをしても少しも心が動かないのだ。素敵に見える世界も、奇跡も、魔法も。全部フィクション、作り話で、空想の中のお話。現実には起こり得ることもないものなのだと、彼はわかってしまった。
それに気付いてしまってからというもの、毎日鏡の奥から彼を覗く"そいつ"は、実に冴えない顔をしていたのだった。
世界とはこんなにも褪せて見えるものだっただろうか。360度周りを見渡しても、味気ない景色ばかりが目に飛び込んでくる。
ただ茫然と立ち尽くすのみとなった彼の心は、いつしか枯れ果て、光も失ってしまっていた。
その姿はまるで、掛けてもらえることもない誰かからの"声"をひたすら待ち続けている、救いようのない哀れな悲劇のヒーローを気取っているかのようだった。
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彼女はしばしば、行きつけのカフェへと出かける。座る席はいつも決まって、窓際。そこからだと人々の行き交う通りの様子がよく見えるため、気に入っているのだ。
コーヒーを注文し、最初の2,3口はそのまま飲んでみるのだが、その後は毎回用意しておいた砂糖とミルクにお世話になることになる。大人ぶってはみるものの、どうやらまだその苦味には慣れないようだ。
彼女もまた、変わり映えのない日々に嫌気がさしている。髪形を変えてみたりもしたが、そうしたからといって世界が変わることはない。
言ってしまえば、背伸びをして苦いコーヒーを飲んでみたりしたところで、現実は理想とは程遠く、決して届くこともない。
そんなことは彼女もわかっていたはずだ。わかっていたはずなのに、気付かないフリをして、目の前に広がる現実から目を逸らし続けていた。
やがて疲れ切った彼女は「馬鹿みたいね。」とだけ呟き、また日常へと融けていったのだった。
いつまでも色付くことのない退屈な世界で生きることに嘆き、泣くことにも疲れた彼女もまた、ただ茫然と立ち尽くしていた。
その目から流れていた涙は枯れ、瞳の奥にはわずかな光も残ってはいない。
その姿はまるで、いたずらに流れて消えていった時間たちがいつか報われる"そんな日"をひたすら待ち続けている、救いようのない悲劇のヒロインを気取っているかのようだった。
そうした自らの生き方を省みることもなく、面白いことが起きないか、変わり映えのある日々は訪れないか、と、ひたすら受け身の姿勢を貫き通している彼の、そして彼女の夢に見る鮮やかな世界は永遠に夢のままであり、また、それぞれの思い描く理想は、ただただ遠くへと霞んでいくばかりである。
ただただ彼らが人生という名のキャンバスに描けているのは、色褪せたままの現実のみだった。